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家を、安く、安全に、快適に改築をめざす おやじの奮闘記

歴史的に気になる事

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用明天皇のお后般若姫

先日、用明天皇のブログを書いた時に

いろんな資料を読んでいると

不思議な事を何点か感じました。

 

史実と伝説

昔の伝説と歴史が入り乱れて

どこまでが伝説でどこまでが史実

なのかがはっきりしなくなります。

 

聖徳太子は実際にはいなかったとか

聖徳太子は頭脳集団の集まりで

組織の事を総称して聖徳太子と呼ぶ

などと言うなどと言う説もあります。

 

そうなると歴史はどこからかが

本当なんだろうという事になります。

 

本当にいたの?

推古天皇は間違いなく居たと思いますが

 

魏志倭人伝には小野妹子の名前しかないので

推古天皇聖徳太子も居なかったという

人もいるようです。

 

どの時代でもそうですが

 

その時の権力者が、歴史を自分に都合の

良いように書き換えることは可能です。

 

アメリカや日本でも何十年経って

 

あの時の真相はこうだったなどの文章が

出てきます。

 

古代では、書き残される史実のほかにも

伝記など口実で残されたものも多かった

と思います。

 

まさに古事記などはそうですが。

 

西暦600年代やっと日本に律令国家が

生まれようとしている時に時の権力者が

自分の都合のいい事を書き残していくのは

当然のことだと思います。

 

事実は

では、何が、間違いないかというと

 

それは645年の大化の改新です。

 

これは、その当時では、物凄い出来事

だったと思います。

 

時の一番の権力者が殺されてしまうのです。

 

蘇我馬子の権力たるや絶大なものがあったと

思います。

 

この人が殺されてしまうのです。

 

日本で言えば伊藤博文さんや

アメリカではジョン・F・ケネディさんの

暗殺より大きい影響があったと思われます・

 

蘇我氏が権力を握っている時は

 

歴史的の中で、

 

物部氏は良くは

書かれていないし

 

藤原氏が権力を握っている時は

 

蘇我氏は良くは書かれていないと

思います。

 

その中で聖徳太子は伝説的な人と

して、1500年近く生き延びています。

 

聖徳太子と三重町

やはり、それだけ聖徳太子

偉大だったのだと思います。

 

聖徳太子の父親である用明天皇

大分県豊後大野市 三重町で

玉津姫と恋に落ち、般若姫を生みます。

 

用明天皇が若いころとは言え

何故、三重町に来たのでしょう

 

伝説では般若姫が、あまりに美しかった

ので、プロ―ポーズしたが断られ

 

自分の身分を隠して真名野長者の従者

として入り込み、武功をあげ般若姫と

結ばれたとなっていますが、

 

これはちょっと考えにくいですね

 

天皇の皇子が大分の豊後大野市まで

女の人を追いかけて来るとは思えません。

 

真名野長者は権力者

それでは、何があったのか、やはり

後継ぎ争いと考えるのが妥当でしょう。

 

何らかの形で真名野長者の後ろ盾が

欲しかったのでしょう。

 

真名野長者はそれだけ政治に対しても

大きな力を持っていたことになります。

 

大分県は昔は金の産地でした。

 

炭焼き小五郎の伝説にも出てきます。

 

今の別府市楽天地も金山の跡地に

建てられたものです。

 

閉山の理由もこれ以上採掘を進めると

温泉源に問題があるということで

閉山になりました。

 

真名野長者は中国通

真名野長者も金を後ろ盾にして

中国との関係を持っていたと

思われます。

 

中国の蓮乗法師が般若姫を弔う為に

中国から日本に来られて真名野長者は

 

三重に蓮乗寺、臼杵に満月寺を建立します。

 

小野妹子が遣隋使で607年に

隋に行って皇帝煬帝に拝謁しているので

 

その頃から真名野長者も隋と

関係を持っていたとは凄いことです。

 

長くなりましたのでこの続きは

後日に致します

 

 

 

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